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石割桜 ; 塗炭の苦しみ

石割桜 ; 塗炭の苦しみ

『虐待』出て行けといわれ靴を履かず

小学五・六年生にもなると、母親が形相を変えて近づいてくると、とっさに逃げて、叩かれないようにしていた。古い家屋であったために、床が土間から、一メートルもあり、母親に捕まらないように、とっさに飛び出すので、靴を履いている時間がない。とりあえず、母親から離れて、後で、靴を履こうとすると、
靴はお前のものではないから、履くんじゃない。出て行けー。」
私は、靴を履くわけにもいかずに、外に出た。小学生の私に行き先など、ない。しぶしぶ、近くの八幡宮をあてもなく歩いた。人と出会って、靴を履いていないのを見られたくなくて、草の生い茂っている所を選んで歩いた。靴を履かずに歩くことが、屈辱的であり、出て行けという母親を腹立たしく思った。小学生では働くことも出来ない。出て行けと言われても生活が出来ないことが悔しかった。一人で生活の出来ない小学生に対し、抑圧的に出て行けと言う母親が卑怯だと考えながら、行き先のないまま一・二時間歩いた。八幡宮と対面して、家が並んでいて、家から、八幡宮の境内が見えることから、長い間、私が、境内をうろついているのを、多くの人に見られ、誰かが母親を呼んできた。靴を履いていないのを見えないように注意していたが、
「靴をなくしたようよ。見つけられなかったようね。」
いつのまにか大勢の人たちが、私の周りを取り囲んでいた。私は、靴を履かずに歩いていることが恥ずかしくて、顔を上げられなかった。母親は、まわりの人たちが誤解したことに合わせてしまった。
「まったく、靴も履かずに歩きまわって、人様に迷惑をかけるんじゃない。さっさと来なさい。」
頭を叩かれた
このようなことが、幾度もあったが、このことは、私が遊びに熱中したあまりに、靴を紛失し、見つけられないまま、靴を履かずに歩いていたことにされていた。母親発信の知的障害があると、誰もが信じ込んでいたことから、誰もが、どうしようもない馬鹿だね、と笑うだけだった母親からの虐待を逃れるために靴を履く余裕もなく飛び出したとは、誰も気づいてはくれなかった。レベルの高い高校を卒業してからも、このことを持ち出されては、
「馬鹿だったくせに。」
と鼻先で笑われる結果となった。



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